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ドラマの主人公が死ぬとなぜ人は泣くのか?それは演技で実は死んでないと分かっているのに

イケスムです。意識改革をしてみようと思っています。簡単に言うとダメ人間から抜け出し立派な社会人として自立するためです。

 

ところで意識の事を考えていたら一つの疑問にたどり着きました。映画やドラマの出来事は、役者が演技をしているだけであるとわかっているにもかかわらず、僕たちはその演技に影響されます。もっとも簡単な例は、主人公が映画の中で死んでしまったりするシーンで泣いてしまうことです。フィクションの映画で何本も映画やドラマやバラエティ番組にまで出演している役者が演技で死んだふりをしているだけと分かっているのに、泣いてしまいます。

 

この疑問にぶち当たった時、人の意識には二つ以上のものがあるんじゃないかと考えました。この例で言えば、一つは「これはドラマで役者は演技をしている」といういわゆる現実を見ている意識。もう一つは、「こんなに良い人が世界を救うために死んでしまった、悲しい」とドラマの中に入り込んでしまう意識です。前者は全体を見ていて後者はめの前だけに集中しているといえそうです。

 

これら二つの意識を利用することで、意識改革ができるのではないかと考えています。前者である全体の事実を見る意識は、僕が貧乏で社会的弱者であるということを理解しています。このような意識はいわゆるマイナスな意識としてネガティブですが、例の後者のほうである目の前だけに集中する意識をうまく使えば、ドラマの演技で涙すら流してしまうほどの感情を作ることができそうです。それは例えば、喧嘩をして勝つことです。

 

喧嘩という殴り合いを肯定しているわけではない勘違いしないでほしいのですが、喧嘩は五感をフルに使える状況であると思っています。その五感をフル活用してさらに勝利を得るということは、自分の動物としての強さを証明できたかのような感覚に浸れるのではないかと考えます。その感覚という意識は、全体ではその喧嘩という目の前の出来事だけにフォーカスしており、全体を見る意識は薄くなっている状態だと思います。

 

この状態では、自分が貧乏で社会的弱者であることを心のどこかで理解していながらも、喧嘩という1対1の勝負に勝ったという感覚だけが前面に出ているので、やれば自分もできるもんだと自信に満ち溢れています。さらにこの件かの相手がいわゆる悪人であれば、自分は悪人を倒した正義のヒーローであるという感覚もついてきますので、自信はさらに大きくなります。

 

この結果、貧乏で社会的弱者であるというネガティブなマインドは薄らいでいき、自分は悪人を倒した正義のヒーローであるというマインドが前に出てくるので自信をもって生きることができそうです。さらに、「自分は正義のヒーローである」という思い込み自体が自分をマインドコントロールし、それゆえにその後の行動は正義ヒーローとしての行動をとろうと変わるようになるんじゃないでしょうか。

 

まとめ

幸せであるかどうかは自分次第であるという言葉を聞いたことがあるかと思います。確かに同じことをしてもそれを幸せと感じるかどうかは人それぞれだし、その意味では自分次第で今を幸せと感じるかどうかは変わるんだろうなと思います。

 

しかし、それが簡単にできれば世の中のみんなは幸せだらけで不幸な人は存在しないことになるんですが、結局のところそれが難しい、もしくは不可能であるからそのような世の中になっていないのではないでしょうか。

 

とは言え、この言葉の論理は理解できるものなので、あとはそれができるか否かの問題です。仮説を立てて検証していくという方法でもいいと思いますし、トライ&エラーを繰り返してゴールにたどり着くでも構わないと思います。とにかく時間は有限なので少しでも早くその幸せを手に入れたほうがいいので、暇さえあればチャレンジしてみるのも悪くないかなと思ったりしています。

 

要するに、みんなが幸せになれればいいのにね。