Google サイト運営者向けポリシーについての疑問

イケスムです。今回は、毎度グーグルから届くメールについて書いてみたいと思います。どんなメールが届くのか要約して簡単にいうと「お前のサイトにポリシー違反があるから今すぐ修正しろよ」という感じの内容のものです。

 

Google publisher policyというタイトルだったかな?でメールが来るのですが、多分本物なのでしょう。しかし「お前のサイト」の部分が問題でして、何を指しているのかがわかりません。何故ならそこにサイトのURLが貼り付けてあるわけでも何でもないからです。ただ僕の記憶を辿って過去に遡ると、このはてなブログ以外に覚えがありません。なのでGoogleさんがおっしゃっていることはこのブログのことなんだろうなと思っています。

 

んで結論から言うと、ブログを全削除しました。何故ならいちいちそれっぽい記事を削除しても度々Google publisher policyからメールが届き、修正しろしろとなるからです。

 

削除した結果どうなったのかというと、いまだにメールが届きます。もう削除してから1ヶ月以上は経過していると思うのですが、ここまで来るともはや手の内ようがありません。どうすりゃいいんだ。

川上量生さんに教えてあげたいたった一つのこと。

イケスムです。今回調子こいて川上量生さんに助言をしてあげようと思いました。僕の知ってる川上さんは、ドワンゴという会社の会長だった気がします。今は角川なのかなんなのかわかりませんが、そこの部分には全く興味がありません。まあ社会的に見てすごい人なのかもしれませんがww 

 

そもそも僕は、川上さんが社会的にすごいとは思っていましたが、そこがお気に入りだった訳ではなく、職人肌とでも言うのかな。とにかく一つのことにめっぽう詳しくとことん追求する姿勢と考え方が好きでした。今でもそうだといいなと思っています。

 

 

さて本題に入りますが、先ほど立花さんとの対談を見ました。結論から言うと、川上さんの話は一般人にはなかなか理解されにくいと思いました。これは対談だからとかそう言う話ではなく、昔から川上さんはそう言う話し方をしています。んでそれがたまにモロに出る時がある。この対談の時もそれがモロに出ていた様に思います。それは何かと申しますと、川上さんは知識が豊富すぎるのか、ありとあらゆることを端折りすぎながら話してしまう癖がある事です。

 

例えば、学者っぽい人が学者の専門用語を使ったりするから、話を聞いてもわからないみたいな事ではないと思うんですね。ではどう言うことかというと、川上さんの脳内では「これぐらいのことは相手は当然理解しているだろう」と思っていることが膨大にあり、それ故に話を端折ってしまうんです。これは話し相手がバカであるとかそう言うことを言ってる訳ではありません。川上さんだけが頭が良すぎるんですよ。故に川上さんの脳内で作られた独自のセンテンスで会話を進めてしまっているんだと思います。そうすると聞き手は、川上さんほど頭が良くない人ばかりなので、理解できないんです。なぜなら端折られた部分を読み取れないので、川上さんの口から出た単語だけを拾うことになるからです。

 

人間は、得意分野を自分では気づけないと言う話を聞いたことがありますが、まさにこれにあたると思っています。川上さんは、脳内で色々なものを組み立てるのが得意だと思います。そしてそれは当然誰しもができることであり、特別な事ではないと思っている。でもそれは特別な事であり、川上さんの得意分野だと思うんですね。だから気づいていない。

 

対策として、1から10まで丁寧に説明する、話をする様にすれば完璧に相手に伝わると思います。もちろんこの方法は、川上さんにとって時間のかかる会話となってしまうのでまどろっこしいと思いますが。

死後の世界について学んでいる時が狂いそうになる件

イケスムです。死後の世界について勉強していると、気が狂いそうになります。

 

僕は、死恐怖症かもしれないと自分で思っています。理由は、自分が死ぬことについて考えると、頭がおかしくなりそうだからです。そしてその死恐怖症を克服してみようとも考えています。その方法は、死ぬことに対して慣れてしまおうと言う方法です。慣れるために日々死について考えているので、死に関することを色々と読んだりして勉強しているつもりです。

 

しかし困ったことが一つあります。それは、死に関することの文章を読んでいると、気がくるそうになる瞬間があります。死恐怖症が発作のように発生するわけです。こういった現象を回避したいからこそやっていることなのに、やっているその行為こそがその死恐怖症という現象を発生させてしまっているようにも思えてしまいます。本末転倒。

 

この問題に対する対策は、結論から言うと少しずつし恐怖を感じていった方がいいんじゃねえのと言うことです。つまり死恐怖症のような発作を感じたらその時点で読んでいる文章を読むのをやめるとか、考えていることをやめるとかして、一気に違うことをやるわけです。思考を別のことに強引に集中させるわけです。

 

なぜこんな事をするのかというと、死恐怖症の発作のようなものを少しずつ味わった方が、死に対して慣れていくんじゃないかと思うからです。それは例えば、高所恐怖症の克服方法と同じです。高所恐怖症は、高いところが怖いのですが、その怖い体験を少しずつすることによって慣れていきます。これと同じで、死恐怖症に関しても、少しずつ体験することによって慣れていくのではないかという考えです。